3時間くらいで考える最近のニュース

日々のニュースについて、見たり聞いたりしたことについて、ちょっと立ち止まって考えてみる日記的なブログです。雑誌よりもポイント絞って、新聞よりも詳し目に。少しきちんと調べることが誰かが何かを理解する役に立てばいいな、と思っています。あんまり深堀してなくても悪しからず!!

安保法案は違憲かどうかの前に ~いつか来た道

ちょっと間が空いてしまい恐縮です。このブログの趣旨に立ち返って、日々のニュースをベースに色々と考えていこうと思っています。

さて、そこで本日は憲法審議会で話題になっている「安保法案は違憲かどうか」という点について考えます。

www.sankei.com

問題の長谷部教授の発言全文はこちら

《発言全文》安保法案「違憲」とバッサリ、与党推薦の長谷部教授が語った「立憲主義」|弁護士ドットコムニュース

 

要するに与党(自民党公明党)が呼んだ参考人含め、3人の憲法学者全員が「今の安保法制は違憲」と明言したということで波紋を呼んでいます。多くの新聞が「人選ミス」で異例の事態と言っていますが、個人的にはその表現(「人選ミス」)自体に違和感があります。

本日の日経新聞朝刊によれば、「危機感を募らせた自民党佐藤勉国会対策委員長が各省庁の官房長を呼び、参考人の人選には慎重にあたるよう注意を促した」そうですが、党の主張を論理的にサポートするだけの参考人であれば、そもそも招致不要ではないでしょうか。少なくとも紙面で十分だと思います。党の意見と同じなんでしょうから。

そして何より国の憲法の解釈問題について、日本を代表する(であろう)3人の学者が全員「違憲」といっているのに対し、「人選ミス」と表現するメディアの無神経さはどういうことでしょう。人選さえ間違えなければ(御用学者を調達しさえすれば)憲法も自由に解釈できてしまうのでしょうか。メディアはその解釈を認めるのでしょうか。

 

日本では「六法」といってごちゃ混ぜにされていますが、「憲法」は国民が権力側を縛る最高法規、「法律」はその範囲で権力側が国民を縛る規範です。とりわけ行政権や軍が法律・憲法の解釈を勝手にどんどんやってしまった為に歯止めが利かなくなってしまったのが戦前の日本でした。今の集団的自衛権の問題についても、「ダメと憲法に書いてないからよい」という議論があるわけですが、「書いてなければ何やってもいい」わけがありません。そんなレベルの低い立憲主義に日本はまだいるのかと、やや驚いているくらいです。

官房長官が、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と仰っていますが、誰のことを指しているのでしょうか。少なくとも私は「たくさん」も知りません。殆どの憲法学者集団的自衛権には法理上、ネガティブなはずです。

 

日本の安全保障を考える上でとても危険なことは、「9条至上主義」の人と、「日米安保至上主義」の極論しか出てこないことです。

実際、日米安保条約が戦後の日本の安定を支えてきたのは事実です。一方で、9条というものがあって日本の軍事化に公式に歯止めがかかっていたのも事実です。軍事同盟に基づく共同作業といわずに「集団的自衛権」と言わざるをえないのも9条があるからでしょう。ただ、平和を唱えていれば戦争に巻き込まれないわけでは全くありません。

武器をなくして平和を実現しようとする場合、自国が圧倒的に強いか、あるいは殺されてもいいから従わない、という強い意思があるか、この二つしかありえません。宮本武蔵になるか、ガンジーになるか、という世界。しかしこれは現実的ではありません。

そうすると、当然ながら平和に必要な戦力を持ち、侵略に対しては断固とした態度をとり続けるということが必要になります。永世中立のスイスは国民皆兵なのです。

 

ではどうするか、この議論を日本はずっと避けてきました。本来ならサンフランシスコ平和条約の時にやっておくべきだった話、あるいは沖縄返還、冷戦終結のときにやっておくべきだった話をずっと避けてきて、今の歪な状況になっています。集団的自衛権憲法違反かどうか、云々の話の前に、現在の世界情勢の認識、日本がどうあるべきか、どのように世界に貢献すべきか、について国民全体でコンセンサスを持つという作業が根本的に必要です。その上で必要であれば憲法改正も認められるでしょう。

そういった正面からの議論を避けに避けてきた結果、色々なことを隠してきた結果、今の日本国憲法の解釈の問題があり、自衛隊と9条の問題があり、そして今回のような政治の問題が出てきます。これは政治家の問題であると同時に国民の方の問題でもあるのです。

 

戦争に入った時も権力の暴走に歯止めはかけられませんでした。戦後、日本国憲法に変更になった時も、「8月革命説」といって正当化されていますが、後付けで理屈をこねただけです。そして今、また時の権力によって(よいか悪いかは別にして)国民のコンセンサス抜きで既成事実が作られようとしています。まさに「いつか来た道」、私たちは歴史に学ぶことが重要です。

今日のまとめは以下です。

  • 現在の世界認識や日本の在り方に関する国民的コンセンサスを作るのが筋
  • 憲法に関する大幅な解釈変更を閣議で行ったり、あろうことか御用学者を呼んで論理づけする等は筋違い。「人選ミス」とはそもそもの認識がおかしい、あるいはメディアの腰が引けているだけ。
  • 物事の是非とプロセスは別。確り国民のコンセンサスをとるような監視の目が「いつか来た道」をたどらない唯一の道。

どの道をたどるか、そろそろ小手先の対応では対応できない段階に入ってきていると思います。